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第12回「イクシアードとメディアの会」

当センター(ICSEAD=イクシアード)は2013年7月から新聞、テレビ、ラジオ、電子媒体など北九州で活動するメディアとの交流会「イクシアードとメディアの会」(略称イクメ会)を、原則として月1回開いています。
私どもの活動内容を地元メディアにご認識いただき、広く地域社会にお伝えいただく一助とするとともに、メディアの皆さまとの意見交換を通じて地域社会の最新の情報ニーズを把握し、今後の活動に役立てるためです。

第12回「イクシアードとメディアの会」(略称イクメ会)

2014.7.23(水)18:00~20:30@ICSEAD会議室(北九州市・大手町のムーブ6階)

話題提供者:八田達夫所長 「全国から見た北九州市」

出席メディア:RKB毎日放送、時事通信社、日刊工業新聞社、毎日新聞社、読売新聞社(=五十音順)

icme01 八田所長はまず、全国14政令指定都市が1965年から2010年にかけて北九州(7万人減)、大阪(49万人減)の2市を除く12市で人口が増加している事実を指摘、「東京一極集中しているのではなく、地方中枢都市がそれぞれ大きくなる『多極集中』の状態にある」と説明。その上で、同じ工業都市でも1955年時点では北九州市が100万人、川崎市が64~65万人、広島市が40万人余りだったのに対し、今や北九州市が97万人に減った一方、川崎市は140万人、広島市は120万人と大幅に増えていると説明しました。その違いについて「北九州市では八幡製鉄所を中心とする製造業が衰退したため」との通説は当を得ておらず、こうした製造業従事者の減少に加え、「むしろ第3次産業従事者が川崎市や広島市で飛躍的に伸びたのに対し、北九州市は伸びが小さかったため」と分析しました。かつて北九州市より小さかった福岡市が大きく凌駕していった理由も、その3次産業の著しい伸びにあることを明らかにしました。
 その要因について八田所長は交通にあると説きました。鉄道が主流だった時代は時間距離が長かったため、大阪市は西日本経済圏の中心として第2の本社機能を担っていたが、「飛行機が普及した1970年代以降は大阪も東京からの日帰り圏になり、大阪にあった本社機能が怒涛のように東京に移った」と指摘。北九州市も「鉄道時代は九州のゲートウェイであり、3次産業の中心地として栄えた。事実、3次産業における北九州市の就業者数は、福岡市に比べて2割多かった。しかし、飛行機時代にはその地位を福岡市に奪われ、北九州に支店を置く理由がなくなった」と説明しました。空港のアベイラビリティ(使い勝手)の良し悪しが決定的に重要との認識で、「北九州空港の年間乗降客は現在140万人程度だが、これは福岡空港でみると、(50年近く前の)1967年ごろの水準である」と説明しました。


「北九州は寝ていても今後は大きくなる」と話す八田達夫所長
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しかし、今後については「福岡空港はすでに容量限界に達しており、現在計画中の滑走路増設が実現しても航空管制上の制約から飛行機発着数は今の1.2倍にしか増えない。頭打ちは必至であり、24時間使える北九州空港が深夜・早朝に福岡空港の補完空港として脚光を浴び、必ず発展する」との予測を明らかにしました。加えて東九州自動車道の完成後は、北九州空港周辺が鳥栖(佐賀市)と同様の物流拠点になりうると指摘。北九州空港の本格的発展の起爆装置として①福岡向け深夜バスの運行②北九州市小倉南区長野と空港の間の高架化③アウトレット開設やアジア人観光誘致に向けた深夜国際便開設――などを提案しました。

【主な質疑応答】
メディア:「所長の構想を実現するためのネックは何か」
八田所長:「資金調達だろう」
メディア:「福北(福岡・北九州)連携はうまく行っていない。福岡側は福岡空港の滑走路増設しか考えていないが……」
八田所長:「北九州空港発福岡行きのバス路線創設は行政が主導すべきだ。」

(協力研究員・江本伸哉)

※発表資料のダウンロードはこちらから(703KB)

 

更新日:2014年8月1日
カテゴリ:研究交流